2009年6月、一本のラインの上から始まった人生は、気がつけば日本のスラックラインの土台そのものになっていた。日本人初のワールドカップ優勝、日本初の安全マニュアル策定、スラックアンカーの開発、そしてテレビ特番でのハイライン指導。この17年、僕がやってきたことをここに記録しておく。
のめり込む ― 名前も分からなかったスポーツ
はじまりは深夜のテレビだった。偶然映った海外の映像。ラインの上で自由に飛び、跳ねる人々。その瞬間、体に稲妻が走った。「これだ」。
ところが番組では「ロープライディング」と紹介されていて、検索しても何も出てこない。名前すら分からないまま1年。ようやくYouTubeで同じ映像を見つけ、それが「スラックライン」と呼ばれることを知った。当時、道具を売っている場所を探しても、見つかったのはたった1軒のオンラインショップ。そこに注文して、2009年6月、ラインの上の人生が始まった。仕事の前に朝練、土日はラインの上。のめり込むまでに時間はかからなかった。
夢中で遊び尽くすうちに、まだ誰も名前をつけていない動きが次々と生まれていった。ラインの上という未知の領域を探索するたびに、新しい技が見つかっていく。正直、名前をつけるのが追いつかないくらい作ったので、名前のない技もたくさんある。
プロになり、世界を獲る
2011年、オンラインコンテスト「KING OF SLACKLINE」で優勝し、GIBBONのインターナショナルライダー契約を結んでプロになった。そこから海外の大会にも出るようになり、2013年、アメリカ・ワシントン州スポケーンで開催されたSLACKLINE WORLD CUPで優勝。日本人として初めての世界王者になった。
この時代、トリックラインの技の約6割は、世界のトップライダーであるアンディ・ルイスと僕の二人が創造したと評されている。フリーフォール、ナスティーチェストなど、現在の世界標準トリックの多くはこの頃に生まれたものだ。
深める ― ロングライン、ハイライン、そして制度づくり
世界一になった後、スラックラインをさらに深めるためにロングラインとハイラインへの挑戦を始めた。同じ時期に日本スラックライン連盟(JSFed)の活動を手伝うようになり、教育部長として、日本初の「スラックライン安全マニュアル」と「ロングライン安全マニュアル」、指導員試験、検定制度をすべて自分の手で作り上げた。A級インストラクターとして、検定員の育成も行った。
誰かのためである前に、まず自分が一番知りたかった。安全とは何か、どう教えれば人はラインの上で自由になれるのか。それを形にしていったら、日本のスラックライン教育の土台になっていた。
誰もやっていないなら、俺がやるしかない
世界のシーンの変化を見ていて、これからはロングラインとハイラインの時代が来ることは分かっていた。でも本格的に始めようにも、日本にはまともな道具がなかった。売っている人も、教えている人もいない。誰もやっていない。なら、俺がやるしかない。
2017年、Slackline Researchを設立した。SLACKTIVITY(スイス)の日本総代理店、Balance Community(米国)などの正規代理店として、世界トップ品質のギアの輸入販売を始めた。
そこからは、その時その時に必要だと思ったものを、ひとつずつ形にしていった。
形にしてきたもの
・スラックアンカー ― 木がない場所でもスラックラインを可能にする埋設型アンカー。今では世界中で愛用されている
・業界初のスラックライン・オンライン初心者講座
・業界初のハイライン入門オンライン講座 ― 受講生151名(2026年9月3日現在)
・認定パートナー制度 ― 全国24施設(2026年9月3日現在)。スラックライン検定とチャレンジカードの仕組みで、各施設での初めての一歩を支えている
・GAME OF SLACK ― 世界初のスラックライン・カードゲーム
岡山・王子ヶ岳の開拓もこの流れの中にある。瀬戸内海を見下ろす花崗岩の山に「The 101」(101m)「Prince Line」(55m)などのラインを張り、日本のハイラインシーンを象徴するスポットになった。ハイラインの日本記録も101m、194m、218mと更新し、ブラインドハイライン54mの日本記録も残した。その過程で、企業・自治体・学校向けのイベント出演は累計500件を超えた。
制約の中で遊ぶ ― 僕の流儀
僕には、自分に課している変な制約がある。
スラックラインの練習は、スラックラインのみでやる。トランポリンなどの補助器具は使わない。ラインの上で起きることは、ラインの上で学ぶ。当時はマットを使うことすら邪道だと思っていたので、たくさん怪我もした。そして、生き方も同じだ。スラックライン以外の金儲けはやらない。スラックラインだけで、どうにかする。
不自由に見えるかもしれない。でも僕は、この不自由が好きだ。原点は子どもの頃に夢中になったブロックにある。限られたパーツの中で、どこまで面白いものを組み上げられるか。自分の発想にどこまで近づけられるか。パーツが限られているからこそ、普通では出てこないアイデアが生まれる。制約は、創造の材料なのだ。
ブロックには、もうひとつ癖があった。作り上げたら、すぐ壊す。どんなにいいものができても、必ず壊す。普通は取っておきたくなるのかもしれない。でも、壊してもう一度作ると、不思議と、より良いものができる。それを経験で知っていた。その時の感覚が、今の自分を形成している。練習方法も、技のあり方も、体の使い方も、スラックアンカーも、講座も、検定の仕組みも、一度完成したものをそのまま置いておいたことはない。作っては壊し、作っては壊す。そのたびに、良くなっていく。
ラインの上の哲学 ― スラックライフ
スラックラインは、自分と向き合うための道具だと思っている。バランスがシビアだから、間違った体の使い方や姿勢をすると、スラックラインが教えてくれる。心と体はつながっているから、自分を観察するのにこれほど便利な道具はない。
この答えにたどり着くまでには遠回りをした。始めた頃は何も考えずがむしゃらに練習して、体を一度壊した。そこから体の使い方を学び、今度は考えすぎて行き詰まった。最後に戻ってきた答えが「何も考えないのがいい」。力むほど心と体は閉じて、何も見えなくなる。リラックスすれば世界が広がって、遠くの音まで聞こえて、バランスは自然と取れていく。
ハイライン日本記録更新の挑戦をテレビ番組が密着した時のこと。時間もトライ回数も限られ、「渡らなければ」という重圧の中、9回目のトライの途中でふいにお天気雨が降った。その瞬間、自然を全身で感じて、線と、風景と、本当に一体になれた。僕が伝えたいのは、この感覚だ。
だから道具もシンプルなものを推す。僕が広めたいのは、一本のラインと最小限の道具で張るプリミティブなスラックラインだ。道具がシンプルであるほど、ラインとの対話は深くなる。そして指導は「まず歩かせない」ことから始める。5つの基本ポーズで体を慣らす。渡りきることが目的ではない。渡れなくても、よく乗れた瞬間の楽しさがあればいい。スラックラインから人生に通じるものを学ぶ。それを、ラインの上の人々は「スラックライフ」と呼ぶ。
僕は、裸足感覚シューズブランド・Vivobarefootのアンバサダーとしても活動している。自分の足で感じ、自分の足で冒険する楽しさを伝える活動だ。その縁で制作されたドキュメンタリー『BACK TO NATURE Vol.2 The Story of Slack Life』では、五感が冴えわたり、心身が自然と一体になる瞬間 ― 僕の言う「スラックライフ」そのものを映像にしてもらった。
命を預かる仕事 ― イッテQ、そしてENGEI 8
2020年、『世界の果てまでイッテQ!』でイモトアヤコさんのハイライン挑戦をサポートした。挑戦に適したスポットを求めて王子ヶ岳の山中を2日間歩き回り、理想の20mラインを見つけ出した。そして2026年8月、フジテレビ『ENGEI 8 笑いの夏祭り』の生放送で、劇団ひとりさんのハイライン挑戦を指導した。8回のレッスンを経て、高さ30mのラインへ。
テレビ特番という一発本番の環境で、一般の方にハイラインを安全に体験してもらう。これは普通のハイラインとはまったく別の仕事だ。競技で培った技術、記録挑戦の経験、安全マニュアルを作った知識、500件を超えるイベントの現場対応力。その全部を注ぎ込んで、現場のリクエストに即興で応えながら安全を組み立てていく。ある意味で、17年の集大成と言える出来事だった。
ハイラインは「危険なもの」と認識されやすい。でも、こうした実績が積み重なることで「安全に実施できる」という証明になり、次のもっと大きな挑戦への扉が開いていく。
FOUNDATION ― 海の向こうから届いた評価
2025年夏、米国のスラックラインクルー・Trickline Collectiveのジャスティン・デイビスが来日し、僕の歩みに密着したドキュメンタリー『FOUNDATION | Influence of a Japanese Slackline Legend』を制作してくれた。同作は米国最大級のスラックライン映画祭 Anchor Point Film Tour 2025 で最優秀賞(Grand Prize)を受賞。自分がやってきたことが、海の向こうのライダーたちにどう届いていたのかを、映像を通して初めて知ることになった。
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1984 | 岡山県総社市に生まれる |
| 2009 | スラックライン開始(6月・日本上陸から間もない時期) |
| 2010 | 第1回日本オープンスラックライン選手権 準優勝(初出場) |
| 2011 | KING OF SLACKLINE 優勝。GIBBONインターナショナルライダー契約を結びプロへ。第2回日本オープン 優勝 |
| 2012 | 第3回日本オープン 優勝。GIBBON CUP 第1戦・第2戦 優勝 |
| 2013 | SLACKLINE WORLD CUP(アメリカ)優勝。日本人初の世界王者に |
| 2016頃〜 | 日本スラックライン連盟(JSFed)教育部長として、日本初の安全マニュアル・指導員試験・検定制度を策定。A級インストラクターとして検定員を育成 |
| 2016 | フリーソロ 日本記録 30m |
| 2017 | Slackline Research 設立。SLACKTIVITY日本総代理店・Balance Community正規代理店として輸入販売を開始 |
| 2019 | ハイライン日本記録 101m |
| 2020 | ハイライン日本記録更新 194m。『世界の果てまでイッテQ!』イモトアヤコさんのハイライン挑戦をサポート |
| 2021 | ハイライン日本記録更新 218m。ブラインドハイライン日本記録 54m |
| 2025 | Trickline Collective制作のドキュメンタリー『FOUNDATION』に出演。Anchor Point Film Tour 2025(米国最大級のスラックライン映画祭)グランプリ受賞 |
| 2026 | フジテレビ『ENGEI 8 笑いの夏祭り』生放送にて劇団ひとりさんのハイライン挑戦を指導 |
探索は続く
振り返ってみると、やってきたことは全部つながっている。のめり込んで、世界一になって、深めるために制度を作って、道具がないから会社を立ち上げて、制約の中で遊びながら必要なものを形にしてきた。動機はいつもシンプルだ。スラックラインの全部が知りたい。もっと自由に動きたい。
いま、スラックラインの最前線にはハイラインフリースタイルという新しい領域が広がっている。世界中のライダーが同時にこの未開の大陸に上陸し、それぞれの発見を持ち寄りながら探索を進めている。僕もその真っ只中にいる。この記録は、まだ途中経過だ。作っては、壊す。その繰り返しの先に、次の何かがある。